先週?年長のサーキットで、太鼓はしごに、すべり台に、はしご渡りに、平均台に、とびおりジャンプに、と設定されていました。
我先にと汗まみれになりながら進む子もいれば、部屋の端に行ったり、マットに寝ころんでみたりする子もいました。
なかなか、その気にならないYくんに、〝午後まで動くのも疲れているだろうから〟と思い、足のマッサージをしてあげました。すると、「こっちも」と手を出してきました。
足の疲れをとれたので、〝サーキットしてから、またマッサージをしよう〟という提案をしました。その気にすっとなるわけではありませんが、課題に付き合いながら、一回りし、マッサージに行きつきました。
サーキットをするのにも、動機がいるんですよね。
ジャンプをするのも、落ちるようにしていました。(怖さや不安感もあるのか)跳ぶという感じではありません。
「『いくよ』と声をかけてから跳んで!」と注文をつけます。わざとかもしれませんが、気の留めず跳びます。「残念、いくよが聞こえなかったので、やり直し」と返すと、またまた、ジャンプに向かいます。少し、跳ぶ前に姿勢を起こし、ジャンプをしました。「ジャンプしたよ」と、先生のところへ、やってきました。「いくよ」という合図は言いはしませんでしたが、Yくんの中で、確実に跳ぶぞという思いで跳んだんだと思いました。
自分の中で、何か目的を持ち、その目的に向かって、行動した姿だったんだと思います。自分の力で気持ちや行動を調整する力があるんですね。