グループ活動も随分と回を重ね、子どもたちにとっては、楽しいものとなってきています。子どもたちのそうした力に感心するととも、その力につなげていく取り組みをしていることにもすごいと感じるところです。
そこへ至るまでの一場面のお話をしたいと思います。グループ活動が始まったころのことです。先生たちは、子どもたちに、グループ活動が始まることや、どのグループになるのかをわかるようにと、いろいろと策を練っていました。バスの中でも念を入れるように伝えたり、グループごとのマークや子どもの写真を見せたり、丁寧に取り組んでいました。この準備は、子どもたちが少しでも混乱なく、活動に向かえるようにという大切なことでもあります。
万全を期して、グループ活動を始めている中、一つのグループが少し出遅れました。迎え入れる体制が不十分だったので、子どもたちは放浪を始めました。教室を移動しなくてもいい子どもたちも移動を始めます。教室へ向かってくる子どもたちも向かうべき教室とは違う場所を巡っています。ですが、子どもたちの様子を見ると、自由奔放にしているというよりかは、自分の行くべきところ(場所であり、グループという居場所)を探しているように見えました。他の子のグループをのぞき、そのグループに自分の写真が載っていないことを確認し、また、歩き回っていました。先生に声をかけてもらい、自分の部屋へ導かれ、グループのマーク、自分のマークが示してあるのを確かめました。そこで、やっと、自分の居場所に行きつき、ひと安心。(といっても、この時点では、まだ、半信半疑なので、安心な状態ではありませんでしたが。)
この姿を見ていて、安心と先々に手を差し伸べることが必ずしもいいというわけではなさそうです。分からないことがあっても、知りたいという思いが子どもたちにあるとすれば、どうやってわかっていくのか、知れるのかを子ども自身が考えたり、確かめたりする機会があることがとても大切になります。そんなことを教えてくれる場面でした。