2週にわたって、親子リズムの集いをしました。
緊急事態宣言の解除を待ちかえるかのように、行いましたが、久々の学園、園での子どもたちの様子に触れてもらうことができて、本当によかったです。
ミュージックケアを草笛で始めて30年近くたっているでしょうか。
私が仕事に就いたころ、お母さんたちと同じように、子どもたちが同じようにしてくれたらいいのにと思い、しきりに声をかけたり、手をもってさせてみたり、楽器を取りに行かせたり片づけさせたりしていたのを記憶しています。
やはり、できるようになってくれたら、どれほどいいかという思いでした。
先日の子どもたちの様子を見ると、同じようにしている子も、行き過ぎてやっている子も、動かずにいる子も、お母さんにひっついて離れない子も、その場から離れている子も、みんな、それぞれの思いがあるのを感じました。
たのしもうと思って楽しんでいる姿。これは見ていてわかりやすいです。
楽しみたいけど不安に感じることの方が強い子、これは、少し、気の毒に感じたり、できるはずなのにって、つい思ってしまいますね。
輪に入ってこない子。することができない、つまらない、なんでしないんだろうとつらく感じてしまうかもしれません。
ですが、音楽を聴く(聞こうとする)ことは弱いかもしれませんが、耳にしていることは間違いなくあります。嫌だなぁと感じていれば、その場にはいないはずです。(私個人のことを言えば、パチンコ屋さんの音は深いです。3分ももたないでしょう)でも、そうではなく、耳にしていて、まんざらでもない、心がウキウキする、聞いたことがあるぞ、等々、心地よさも感じる姿もあるわけです。
その安心感を心に刻む中で、先生やお母さんが何か言っている、何かしている。面白そうなものがでてきたという、耳や目を持ち始めます。そのうち、触ってみよう、聞いてみよう、同じようにやってみようとさらなる楽しみを持つようになります。
北川先生も言われていましたが、子どもたちがするかしないか、できるかできないかで、この時間を見るのではなく、子どもたちが自分自身でその気になるのを待つことが大切だということなんだと思います。
草笛での療育も、子どもたちがその気になるのを待っています。
でも、ただ、待つのではなく、その気になることをしっかりと用意し、その気になったときを見逃さず、そっと支え、そっと促し、そっと繰り返すことをしながら、待つということをするわけです。
「待つ」ことは大事。そこには、その気になる種をまいたうえで待つことが必要なんです。
次回、待つことで見えてくる子どもの姿をお楽しみに!