5月が終わります。今までになく、長く感じる4.5月でした。いつもはあっという間に過ぎていくんですけどね~!
先週、お誕生日会がありました。5人の子どもたちが遊戯室の舞台にあがっていました。年に一度の誕生者ということで、あの舞台の上で席に着くのって、どんな気持ちでしょうね?皆さん、自分だったら、どうでしょう?
「うれしくてしょうがない?」「うれしいけれど恥ずかしい?」「カードやケーキをもらったり見たりするだけだったらうれしい?」「なんで、ここにおらんといけんのん?」
いろんな思いがきっとあるだろうなぁと思うんです。私たちは、できることなら、このめでたい場面を一緒に喜びたいなぁ!うれしいなぁ!楽しいなぁ!と思ってくれたらいいなぁと思って、誕生日会をします。でも、やっぱり、一人ひとりのこの舞台での思いにも目を向けることが必要なんだろうなぁと思いながら様子を見ていました。
この間、登園の自粛が続き、やっと、この日は通常の登園となった日です。見通しがもててなく、心の揺れが大きい状態です。そんな子どもたちの心情には丁寧に寄り添うことが大切です。子どもたちの心の揺れは、決して、この日に限ったことではありません。日常の中でも、「いつもと違う道を通った!」「お母さんがいつもと違うことをしている!」「お友だちが来ていない!」「こんなことを言われた!」など、なんてことないように思うことの中でも起きています。そんな時には、ソワソワオドオドが目立ったり、怒りっぽかったり、やたらと引っ付いてみたり、いつもすることをしなかったりなどが見受けられます。大人もそんなこと、いっぱいありますよね。
さてさて、そんな中で、誕生日会をみていると、Kくんはオドオドとニコニコが交錯。カードやケーキ(模造)がでてくることなど誕生日会を知っています。お隣のKくんは、今まではオドオドだったのに、今回はうれし気にみんなを見渡しています。なんだか、気持ちに余裕があるみたいです。Sくんは、表情には出しません。冷静沈着です。心の奥底でいろんな思いを巡らせています。Sちゃんはみんなの様子をみてうれしそうです。とにかく、様子を楽しんでいます。Tくんは、不安。誕生日会はわかっていても心が落ち着きません。もう一人のKくんは、何がおきているのかはピンときません。目の前のことを楽しんでいるようです。
お誕生者には、誕生日カードがお友だちから渡されるのですが、手にするとうれしいものです。自分の写真があるのも、うれしさを倍増させます。渡してくれる人を先生が選びます。渡す側も、渡してうれしいという思いが膨らみます。この喜びにもいろいろあるんです。「渡す行為(運べるということ)がうれしい。」「渡して受け取ってくれること(ちゃんと渡しきれたという実感)がうれしい。」「〇〇くんに渡せて、うれしい。(思いを寄せている子に渡せたこと、または、思いを寄せている子が喜んでいること)」などなど。
こうやって、双方の様子を見ていると、誕生者の中で、余裕をもってのぞんでいる子どもたちには、「〇〇くんから渡してもらえるとうれしいなぁ」という思いがあるようにも思いました。日ごろ、つきあっている仲良し・気になっている仲良しがいます。そんな双方の思いをうまくマッチングさせてあげることも、療育がなせる業だなぁと感じます。
個々の思いや力を個々だけのもので終わらせません。個々の思いや力は、お隣さんやお隣さんのお隣さんに!前から見ている子どもたちに!つながっていきます。だからこそ、集団療育の意義が草笛にはあるなぁと、改めて感じました。コロナ自粛があったからこそ、見えてくるものもあり、無駄ではありません。子どもたちの姿や生活、大人の姿や生活にも、無駄なことはない!そんな生き方をしていきたいですね!
(年長さんの植えたラディッシュ)