今年の運動会が始まりました。
こんな書き方もおかしいと思うのですが、「始まりました」です。今年の夏は、直前になってコロナ感染者拡大で、お泊り会が中止となり、保護者からは、とっても「残念」な声をたくさん、聞きました。その声の通り、とっても残念なんです。だから、行事一つ一つがとても大切なものだと、今まで以上に感じるんですね。今日の2グループの運動会も、子どもたちの姿を見る大切な機会だったと思います。
しかも、今日は週明け。週明けの行事は、子どもたちにとっては、園の生活を見通す前の初っ端の日となります。気持ちのエンジンをかける前のようなものですね。それでも、子どもたち、お父さんやお母さんの顔を見て、ホッとし、甘えたり、はしゃいだり。それはそれで、素の子どもたちの姿だなと思いました。親子でおこなった「もりもり体操」。はりきっての体操でしたね。親と一緒にできて、これまた、うれしかったように思いました。なぜだが、かけっこの練習から始まりましたね。これまた、エンジンをかけるためのステキな準備運動といったところでしたね。日にちを分けて運動会しているからこそ、できる準備運動でした。
とはいえ、楽しいと思っている子どもたちばかりではありません。緊張や甘えも出てきます。いつも通りにいかないのも、素直な子どもの姿です。いいとか悪いとこではなく、これも子どものありのままの姿として、私たちは、受け止めていくことが必要なんだと思います。行事ですから、子どものできる姿を見たい!いいと思う姿をみたい!というのは、誰しものねがいです。私たちも、そんな姿を見せたいと思いながら、取り組みます。でも、そうはいかないことも多いんです。だって、それをするのは、親でも職員でもなく、子どもたち自身なんです。
どんな気持ちでいるんだろう?何を考えているんだろう?と、それぞれの場面で、頭を巡らせてみます。
親と離れたくない思いでいるのに、競技へいくら促しても、その気にはならない。それでも、親のところに行こうと、自分から足を進めているのは、その子自身の力を発揮している姿です。泣き崩れるけれど、顔をあげて、立ち上がっている姿も、その子自身の力です。子どもの見せている前向きな力です。
スタートをきるのに、エネルギーが必要なんだろうと、みんなが待ってくれました。それでも、一歩は簡単ではありません。体を揺らし、自分にリズムをきざみ、一歩を生み出そうとしているかのような姿を見せてくれていました。その一歩は母の手を借りることで、生み出されましたが、長い間、生みの苦しみと向き合っていたその子の安堵の思いをみんな感じたのではないでしょうか。
子どもたちの紆余曲折な姿を、最後まで、温かく見守っていただき、ありがとうございました。その気持ちが子どもたちの優しさやたくましさの育ちにつながっていきます。これからも、よろしくお願いします。
49年前に始まった草笛の運動会。今も大切に受け継がれる中身のある行事です。